2013年5月13日月曜日

僕たちはグローバル化で豊かになった


 
二年前、僕の付き合いの範囲内では、iPhoneを持っている中国人はほぼ皆無だった。
ところが今や、食事に行って円卓を囲むと、10人中7-8人はiPhoneである。
端末の価格は日本よりも高いくらいだから、物価差を考えると日本の感覚でいえば数十万円、下手をすると百万円近い買い物に相当すると思う。
それを、皆が買う。

中国は豊かになり続けている。
世界の国々が中国に仕事を発注し続けているからだ。

彼らにとって(およびベトナムやミャンマーなどの新興国にとって)、経済のグローバル化とは「仕事が増え、賃金が上がり、豊かになること」を意味する。

逆に、現代日本の視点では、グローバル化というと「他国に仕事が奪われ、賃金が下がり、貧しくなること」という文脈で語られがちだ。
だからグローバル化をネガティブに捉え、グローバリゼーションの進展を嘆く人たちがおり、中には内田樹教授のようにかなりの人気を博す人もいる。

気持ちはわかる。
でもちょっと待ってほしい。

なぜ現代の日本は豊かなのだろう?
なぜ現在の我々は、世界第三位(少し前まで二位だったけど)の経済大国の国民なのだろう?

かつて、まさにグローバリゼーションの恩恵を一身に受けて、経済成長を果たしたからではないか。

例えば、日本のクルマ産業は、1970年から80年の間に生産台数を2倍に伸ばし、アメリカを抜いて世界最大のクルマ生産国になった。
同期間に、日本車の対米輸出は実に6倍に増えている。
つまり、日本車の台頭で最も大きく割りを食ったのはアメリカのクルマ産業、もっと言うとアメリカのクルマ産業の労働者である。
「自動車の街」として知られたデトロイトは、人口がピーク時から半減し、今や廃墟の街と化している。


意地悪な言い方だけど、このときに内田先生はグローバリゼーションに反対していただろうか。
してないよね。
「アメリカの労働者に気の毒だったから、日本はクルマの対米輸出を控えるべきだった」と反省している日本人はいるだろうか。
いないよね。

グローバリゼーションは、場所と時代によって恩恵にもなれば試練にもなる。
今はたまたま日本にとってタフな局面にあるかもしれないけど、だからと言って、過去の恩恵を忘れてグローバル化そのものを嘆くのはフェアではない、遠慮なく言えば、ちょっと都合が良いんじゃないの?と思う。

というかそもそも、本質的にグローバリゼーションは人類にとってすばらしいことではないですか。
日本のクルマが世界を席巻したことで、世界のクルマの平均レベルは間違いなく上がった(燃費や排ガス基準などの定量的な話。セクシーさ、みたいな主観の話は別として)。アップルが中国の工場に生産を委託しているからこそ、僕たちはたかだか数万円という対価でiPhoneを手にできている。そして貧しかった国の人々が豊かになる。かつての日本のように。すばらしいよ、うん。

だから僕は、日本人がさらなるグローバル化に適応することはすばらしいことだし、自分も適応してこの状況を楽しみたい、と思っています。

なんてことを、土曜日にある人と中国人のiPhone保有率について話していて思ったので書いてみた。

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冒頭の写真は上高地にて。外国人観光客もいっぱいいました。外国人が日本に来て楽しんでる姿を見るのが好きです。


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