2011年6月27日月曜日

経営者の義務と権利


僕の前職オプトの元代表・海老根(現在は取締役会長)がブログを始めていた。
彼が代表に就任してオプトが倒産寸前の状況からカムバックしたときのことも書いてあるのだが、あまりにもあっさりしてて参考にならないので補足しておこうと思いますw

本文転載:

海老根の経営戦略の基本的な考え方を書きます。
  1. お客さんは誰か?
  2. お客さんは何に困っているのか?
  3. 自社の強み・独自性はなに?
この3要素を明確にすること。これだけです。言い換えると「誰の・どのような困りごとを・何を強みに解決する会社なのか」ということ。2001年にオプト代表になったときはこう決めた。
  1. ネット広告に主にダイレクトレスポンスを求める企業
  2. 広告の投資対効果を高めたいが、やりかたがわからない
  3. 自社開発の効果測定システム
この3点が決まれば、他の戦術も自動的に決まる。営業先のアタックリストも、営業に行ったら何から話すべきかも、採用の仕方も、ほとんど決まってしまう。逆に言えば、この3点が決まっていないと、他のことも全て場当たり的になってしまうんだよね。



解説します。

2000年、オプトはそれまでのファックスDM会社からネットの会社に事業転換を図り、VCを中心に約3億円を調達して(僕はCFOでした)4つのネット事業を立ち上げた。
が、どれもなかなか、というか全くうまくいかず、年末にはあと数ヶ月で資金が尽きて倒産という状況に追い込まれていた。
経緯は省くが、当時ネット広告代理部門を勝手にw立ち上げていた海老根(創業メンバーの一人ではあったが、入社が遅かったこともあり当時は役員ではなかった)が、翌2001年から代表取締役COOとして実質的なトップについた。

結果を先に書いてしまうと、2000年には年商3億円・営業赤字2億円(!)という状況だったのが、彼がトップ就任後3ヶ月で単月黒字転換し、3年後の2004年2月にはジャスダックに上場した。
2000年から2004年にかけて日本のネット広告市場は3倍(590億円→1814億円)に伸びたが、オプトの売上高はその間実に32倍(3億円→95億円)に成長していた。

強烈な、魔法のような体験だった。
成功のポイントは何だと思うか、と聞かれたら、以下の3つを上げる。
(上場すれば成功だとは思ってないけど、ここでは便宜的に「成功」と言わせてください)

フォーカス
2000年のオプトはマンション情報サイトなど4つの事業を行っていたのを、海老根は「ネット広告代理事業」一本に絞り込んだ(4つの事業のうち2つは事実上凍結して後に売却、1つは広告代理事業の1サービスとした)。
のみならず文中にもあるように「ネット広告に主にダイレクトレスポンスを求める企業」に顧客を絞った。これは逆に言うと「広告にブランディング効果や認知度アップ効果を求める企業は顧客にしない」ということだ。
さらにその後、顧客とする企業の業種も絞り込んだ。
実に3段階もの絞り込みをかけたわけだ。
そして僕たちは文字どおり「朝から晩まで」ネット広告代理事業のこと「だけ」を考え続けた。
結果は上記のとおり。もちろん機会損失もあったが、失ったよりはるかに大きな機会を手に入れたと思う。
「一つのカゴに全ての卵を入れてはいけない」という言葉は投資家のための教訓であり、事業は逆であるというのが僕が経験から得た考えだ。

明確な事業ドメイン
事業ドメインとは単に業態を言うのではなく「誰の・どのような困りごとを・何を強みに解決する会社か」の3点を定義することであり、事業ドメインが決まれば下位の戦略戦術は全て自動的に決まるというのが海老根の考えだった。
文中にあるとおり、彼はオプトの事業ドメインを「ネット広告に主にダイレクトレスポンスを求める企業の・広告の投資対効果を高めたいがやりかたがわからないという困りごとを・独自の効果測定システムを強みに解決する会社」と定義した(これは表現を変えると「広告効果を数値化して、効果が曖昧で不明確なまま広告を出し続けることから企業を解放する」というミッションにもなる)。
その結果、以下のような戦略戦術が「自動的に」実にすらすらと決まっていった。

営業先: ネット広告に主にダイレクトレスポンスを求める企業のみ。
営業手法: 初回は必ず効果測定システムの導入を提案。
トレーニング: まず効果測定システムのロープレを徹底。
採用: 広告業界の慣習にないことを始めるのだから広告業界経験者は特に募集せず、若さとポテンシャルのみ重視。
重点商品: CPA(キーとなる広告効果指標)が優れた広告メディアを優先的に仕入&販売。

事業ドメインを定義することによって、僕たちは自分たちが何者であるかという強いメッセージと、スピードを手に入れたのだ。

トップのハンズオン
海老根は会社の代表であると同時に、事業責任者でありネット広告マンだった。
特に営業には力を入れていて、最初の1〜2年は顧客との重要なミーティングにほとんど出ていたように記憶している。
会社のトップが事業のトップでもあることは当たり前のようだが、実はベンチャーでもトップの下に複数の事業責任者がいる会社は多い。
トップが責任者に丸投げして成果が出ないとすぐハシゴを外してしまうのでは、同じ事業でも結果は全く異なると思う。
サイバーエージェントのAmeba事業が成功したのは複数の要因があると思うが(僕はAmeba事業をシニカルに見ていたことを白状しなければならない)、藤田社長自身が事業責任者であったことは最大かつ外せない要因ではないか。

・・・これらの方針の決定にあたって、僕が果たした役割も大きかったと言いたいところだが、残念ながら事実は違う。
フォーカスも事業ドメインも、基本的には海老根が一人で決めた。
以来僕は、会社のミッションとビジョン、そして事業ドメインを決めるのは経営者の義務であり、権利でもあると思っている。

お察しのとおり、その権利を自分でも行使してみたかったということも、僕がイルカを始めた理由の一つだ。

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海老根を美化しているような気がしなくもない。
バランスをとるために書いておくと、彼は立ち飲み屋をこよなく愛し、泥酔して多摩川河川敷の草むらで目覚めたり、カバン・財布など所持品一式をなくしたりする破綻者である。

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写真は安曇野のアカマツ林。


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